何度でも泣きながらありがとうと叫べ

好きなモノを好きなように好きなだけ 音楽と映画とドラマ

推しのラストライブなんて二度と行きたくない Shiggy Jr.解散ライブを見た後の率直な感想

スポンサーリンク

DJダイノジが言った「解散したバンドでも、亡くなった人でも、再生ボタン1つで何度でも会わせてあげられます」なんてウソだ。

 

2019年9月7日、ぼくが長い間応援していた大好きなバンドShiggy Jr.は赤坂BLITZでラストライブを行い解散した。

 

ライブの内容とは別で、バンドの解散とラストライブについて思ったことをグチャグチャな頭で書きます。乱暴な表現、誤字脱字などあるかと思いますが、ご了承ください。 

 

ぼくが好きなバンドは解散してしまうことが多く、解散ライブに行くのは今回で4回目だ。だけど、今までの3回と今回のライブは大きく異なることがある。

それはライブの思い出の数と、その人自身への愛着だ。

 

今までの3回は音源でずっと聞いていたけどライブに行く機会がなくて、自分にとって初めてのライブが解散ライブだった。

 

ちなみにこれまで見た解散ライブは超飛行少年(読み:スーパーフライングボーイ 略称:スパフラ)、GOLLBETTY(読み:ゴルベティ 略称:ゴル)、GENERAL HEAD MOUNTAINの3組だ。

 

音源だけとは言っても、ゴルはいろんな音楽を聞くきっかけだし、スパフラは受験期に聞いて自分を鼓舞してくれたバンドで、どちらも1番多感な10代に聞いていた自分にとってはとても大事なバンド

 

Shiggyさんは社会人になってから好きになって、仕事に一人暮らしと新しいことだらけの時期に聞いていた、とても思い入れのあるバンドだ。

 

ゴルとスパフラは自分にとって初めてのライブが解散ライブだった。まず思ったのは「この人たち実在するんだ」という一般的な初ライブと同じそれ。

 

ずっと聞いていた曲が演奏され、歌われる。「あーこの人たちは本当に活動していて、このメンバーでこうやってライブをしていたんだ。」という事実を再認識する。

 

本当に滑り込みで見れたので「もっと早く出会いたかった、もっとたくさん聞く機会が欲しかった」よりも「ようやく この曲を生で聞けた」という気持ちが強かった。バンドの最後に立会うことで、バンドの歴史に少しだけ自分も入れてもらえた気がした。

 

だけどShiggyの時は違った。いつものメンバー、ライブで何度も聞いた曲、相変わらずなMCでのやりとり、全ていつも通りなんだけど、今日限りで解散する。つまりそれは「もうこのメンバーで、この曲をライブで聞くことができない」ということ。

 

それが常に頭の中にあって、イントロ鳴るたびに「あーもうこれで最後なんだ」という寂しさが出てくる。思い入れがある曲や久しぶりの曲も始まった瞬間に心から楽しめない自分がいる。ライブを楽しめない事実でさらに悲しくなってくる。

 

特にShiggyは辛い時やモヤモヤしてる時でも、明るくハッピーな気持ちにさせてくれる曲ばかりで色んな時にお世話になった。そんな曲たちに今日の悲しい思い出が追加されてしまうのが嫌で仕方なくて、楽しい曲なのに涙が出てきてしまう。

 

ライブに通ってたからこそ、初披露の時の衝撃、あの時はこういうアレンジだった、あのライブで聞いた以来だ、などライブ自分の思い出だってたくさんある。アレンジもとても思い入れがあって、Shiggyは一般的なポップでかわいいイメージが多いと思うが、リズム隊がとてもしっかりしている。

 

しっとりした曲やバラードでもつい体が動いてしまうような踊れる音だし、持ち曲が少ない分、定番曲はワンマンだとほぼ毎回異なるアレンジで違う表情を見せてくれていた。こういうライブアレンジも今日で最後。曲間の繋ぎで次の曲が分かった時「始まってほしくない」という、今まで一度も感じたことのない気持ちになった。

 

 

こうやって楽曲だけでなくライブの思い出も重なってきて、今までライブ終盤では楽しすぎて涙が出たり、ほっぺたが痛くなるくらい笑った思い出ばかりの最後の1ページに、むせび泣いて100%楽しめない自分の記憶が刻まれていく。こうなると完全に負のループになってしまい、中盤は若干持ち直したものの 全編通して涙が止まらななかった。

 

 

また、Shiggyは曲は勿論だけど各メンバーの人柄も大好きで、とくに4人の関係性が垣間見えるMCが大好きだった。ワンマンでは毎回1人ずつ話すコーナーがあったし、インスタのストーリーやLINE LIVEでの宣伝番組もほぼ全部見ていた。

 

基本的に「バンドはいい曲作ってライブやってくれるだけでいい」と思っているので、どういう性格とかは重視しない。MCもダラダラ話されるのは好きではない。だけどShiggyは4人のキャラ込みで好きだったし、客観的に聞いたら学生ノリが抜け切れていない内容だけど、4人が話している雰囲気も思い出の1つになっていた。

 

今回もMCはいつも通りにやってたけど「この空気感も今日限りで終わってしまう」と思ってしまい、寂しさから心の底から笑うことはできなかった。

 

 

そんなライブだったので、自分は正直ほとんど楽しむことはできなかった。バカみたいに泣いたけど、解散を受け入れることもまだできていない。

 

冒頭の話に戻ると「解散していも亡くなっていても再生ボタン押せば何度でも蘇る」なんて言えるのはライブに通ってなかった人、音源での思い出しかない人だけだ。

 

再生ボタンを押して蘇るのは楽曲単体の思い出であって、ライブの雰囲気はもちろんShiggy Jr.の池田智子、原田茂幸、森夏彦、諸石和馬には、もう会えない。これからソロや新バンドを組んでも、今までの彼らとは異なる。それに自分にとって同世代で頑張っているShiggyには、勝手ながら「これからも一緒に成長していきたい」と思っていた。蘇るのは昔のShiggyであって、現在進行形で、ドンドン大きくなっていくShiggyをもっと見ていたかった。何より、あの4人が好きだった。

 

帰り最寄駅に着いて家までの歩く道で突然泣き出したり、次の日洗濯物干す時に何気なく口づさんだShiggyの曲で涙があふれたり、こんなブログを書くくらいには情緒不安定になっていた。

 

あえて今回の学びを挙げるなら、ライブに行くのが好きな人で、今後もし現場に通ってたアーティストのラストライブに行く人は「翌日もお休みをとること」をオススメします。

 

音楽なんて衣食住に必須ではない娯楽の1つだけど、音楽が好きでライブに通っている人にとっては心の拠り所だ。推しのラストライブは乱暴に言ってしまうと、遠い親戚の葬式よりはるかに喪失感が大きい。

 

応援していた自分の数年間も否定されたような気持で味わったことのない悲しさが押し寄せてくる。ただ聞いていただけではなく「応援していた」分、自分が思っていた以上に思い入れや愛着が強くなっていた。

 

なので、とてもじゃないけどライブの翌日は情緒不安定すぎて仕事にならない。今回は土曜だったので日曜は泣きながらキーボードを叩いた。ブログを書くことで少しずつ自分の気持ちを整理した。月曜は台風で電車乗れないから休みにして気持ちを落ち着かせることができた。

 

大好きでライブにも行ってた、椿屋四重奏がラストライブをせずに解散してしまった時は「どんな理由があっても、最後に一目見ることも感謝を伝えることもできないなんて酷すぎる」と思っていたけど、「今日で見れるのは最後」という事実を知ったうえで見るライブがこんなに苦しいとは思わなかったよ。

 

人によっては楽しめるかもしれないけど自分はダメだった。楽しい思い出の最後に、悲しい思い出が増えてしまうことが どうしても受け入れられなかった。もちろん、最後にライブをすることすら出来ない人も沢山いる。見送ることができただけでも幸せかもしれないけど、ある意味 好きの魔法が解けた状態で見るライブも辛い。

 

Shiggyと同等、それ以上に思い入れがあるバンドは数少ないけど、その人たちが今後もし解散ライブをする時、この辛さを知った上で解散ライブに行くことができるだろうか。叶うならばその日少しでも先であってほしいし、可能であればそんな場に立会いたくない。

 

とは言っても実際にその状況になれば感謝を伝えにライブには行くのだろうけど、今回以上にライブ前は足が会場へ向かないだろうし、変な緊張でお腹も痛くなるし吐き気もでるかもしれない。二度とこの気持ちを味わいたくない程に辛いものがあった。

 

今までも思っていたけれど、自分が好きなアーティストはとにかく「売れて十分な収入が手に入って、余計な不安を感じることなく、1秒でも長く活動して欲しい」と強く願う。極論だが売れてさえいれば、ある程度の不満は我慢できると思うから。同時に、

才能があるけど結果がついてこない人達が少しでも報われる制度や技術があれば、こんな思いをする機会も減るのかなとも思っている。

 

ただの一個人のライブの感想の前置きを最後まで読んでいただき、ありがとうございました。 Shiggy解散ライブの内容は別記事として書いていますので、よければそちらも読んでいただけると嬉しいです。

 

 

それでは